革ジャンとパンク - 俺は俺 -
Oct 06, 2025
こんにちは!
anemoscopeスタッフのmoricoです。
今日はわたしの趣味でもある音楽にちょっと絡ませて、呟いてみたいと思います。
どうぞお付き合いください。
10代の頃から、パンク音楽を浴びるように聴いていた。
爆ぜる音は、心臓の鼓動と混ざり合い、街のざわめきを押し流し、世界に突き立てるナイフのようだった。
革ジャンを初めて着たのは、20歳そこそこの頃。
一目惚れで買ったシングルの革ジャンは山羊革で作られていて、レディースものの安物だった。でも当時のわたしには高い買い物だった。
その革ジャンを着るたびに、その重みは「生きることに不器用」である自分を突きつけ、冷たい質感は「孤独の手触り」を思い出させた。
だが、その不器用さも孤独も、武器に変えてしまえばいい。
ずっとそう自分に言い聞かせ、突き進んできた。
パンクの荒削りなリフは、未完成のわたしをそのまま肯定し、完璧であれという社会の圧力に中指を立てた。
「正しさ」や「普通」を求める声に押しつぶされそうになったとき、パンクは「従わなくてもいい」と教えてくれたのだ。
不協和を響かせる叫びの中には、「弱さをさらけ出しても構わない」という反骨の美学が宿っていた。わたしは聴くたびに勇気をもらっていた。
わたしの好きなバンドの一つに、Ramonesというバンドがある。
1970年代のニューヨークで結成され、「パンクロック」を体現し、今も世界中の音楽ファンから愛され続けている。
3分にも満たないシンプルなビート、同じコードを繰り返すリフ、そして有名な「Hey Ho, Let’s Go!」という掛け声。
飾りをそぎ落としたその音は音楽シーンに衝撃を与え、後の数えきれないほどのバンドに影響を残した。
ピタピタのジーンズ、薄汚れたコンバース、破けたTシャツの上にバサッと革ジャンを着るその立ち姿は、ファッション業界にも影響を与えた。わたしも憧れ、そのスタイルを真似していた。
そのフロントマンであるジョーイ・ラモーンは、次の言葉を残している。
”To me, punk is about being an individual and going against the grain and standing up and saying 'This is who I am.'"
----Joey Ramone
「俺はさ、俺でいることに喜びを感じるんだ」
ジョーイの言葉は、わたしの過去と今をつなぐ呪文のようだ。
流れに逆らい、「わたしはわたしである」と胸を張る瞬間、あの頃の擦れた袖の匂いと、夜更けに震えた音の衝動が蘇る。
孤独と自由は、互いに矛盾するものではない。
孤独を抱くからこそ、自分だけの声が響き、自由は他者に従わぬ強さとして芽吹く。
そして、社会の既成概念に背を向ける勇気も、そこから生まれる。
迎合を拒み、「自分自身」に誠実になり、ありのままで立ち続けるために。
年月を経ても、革ジャンを見ると、自ずと思い出す。
重みも、匂いも、反逆の音も。
それらはすべて、今もわたしに「生きるとは何か」を問い続けている。
革ジャンとパンクは、わたしにとって若さの記憶を超え、社会の型を疑い、反骨精神を燃料に、孤独を恐れず、自由を愛し、声を響かせ続けるための人生の伴走者なのだ。
【今週のコーディネート紹介】
・アウター
SUNSETBAY
NATALIE CALF GALWAY - BLACK
・トップス
nonnative
DWELLER S/S TEE BODER COTTON JERSEY - SAX BLUE
・ボトムス
nonnative
DWELLER 5P JEANS 01 COTTON 12.5oz SELVEDGE DENIM VW - INDIGO